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日記

ムンク展に行って叫びに叫んだ話。恋人とこじれて、銃を暴発させた彼に親近感。

エドヴァルド・ムンクは1863年から1944年に生きたノルウェー出身の画家です。ムンクというと有名な作品は「叫び」ですよね。

「ムンク展―共鳴する魂の叫び」として、オスロ市立ムンク美術館から、上野の東京都美術館へ初来日ということで、私も見てきました。
ムンクというと私が思い浮かべるのは、水曜どうでしょうのこの大泉なんですが。

そんな私がムンク展に行って感じたことを3つ書いていきます。

1.叫びは「生命のフリーズ」という連作の一部であることに驚く

ムンクというとやはり叫びが有名です。自然から発せられる幻聴に耐えかねて、耳を押さえている様子が描かれています。


数種類あるムンクの叫びのうち、今回来日したのは、テンペラ・油彩画の叫びです。
実はこの作品は「生命のフリーズ」という連作の一部なのです。
フリーズとは建築の装飾のこと。この装飾のように、自分の作品をいくつかのテーマによって結び合わせていこうというムンクの試みです。

叫びだけを見るつもりが、ほかの作品も大変印象深かったです。その中でも「生命のダンス」はかなりインパクトがありました。この絵から、人間の愛と野生の両方の性質を感じたからです。
これは、ムンクと彼が苦しい恋心を抱いた人妻ミリー・タウロヴのカップルが主題となっています。

2.ムンクの生涯独身宣言に驚く

ムンクは、生涯にわたって女性への情熱と拒絶の恐怖の間に葛藤しました。結婚は芸術家としての志とは相容れないと考え、1944年、80 歳にしてこの世を去るまで独身を貫きました。
その一方で、ムンクの絵には女性の絵やキスの絵が多かったです。また吸血鬼の絵に見られるように、女性を人ならざるものとして表現していました。女性は素晴らしい生き物だとムンク自身が言っているように、結婚という生き方ではなく、芸術を通して、女性という生き物を表現したかったのかもしれません。

1899年にムンクはトゥラ・ラーセンという女性と出会い、交際を始めます。彼女はリベラルの上流階級の女性でした。ムンクは彼女から求婚されますが、断り続けます。挙句の果てには口論の末にピストルを暴発させ、ムンクは左手中指の第2関節を撃ち砕くけがを負います。

なぜムンクが女性と結婚しなかったかについては、遺伝的な精神的欠陥などに恐怖心を抱いていたためなどと考えられています。私もこのムンクの気持ちが、少しわかるような気がします。

3.ムンクの芸術と魂への探求心に驚く

1892年のベルリンでの最初の展覧会では、保守的な美術界から「ただ絵具を擦り付けただけ」などと抗議と激しい非難を浴び、わずか一週間で閉鎖されます。しかし、このセンセーショナルな事件で、ムンクは一躍有名になりました。
ムンクは同じ構図を繰り返し用いて、新たな作品を作り上げていきました。
今までの一部を生かして新たな意味を見出す姿勢から、芸術という果てしない旅路を一歩一歩着実に歩んでいくムンクの執念を感じました。